双極症調べ学習まとめ
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この記事について
いろいろ本を読んだりしたのでまとめたい。 基礎知識みたいなのがないのと、ざっと通読しただけなので間違っているところがあるかもしれない。
双極症とは
俗に躁うつ病と呼ばれている。正式名称は双極性障害だったが最近(いつ?)の変更で双極症に変更された。名前の通り躁と鬱を行ったりきたりする。
短い躁の期間と数ヶ月の鬱、場合によっては寛解状態を繰り返す。 躁と鬱の間は打ち消し合ってくれると思うかもしれないが、実際は混合状態という両方のひどいところを合わせたような状態となる。 この切り替わりは病が長引くほどはやくなっていき、年4回以上切り替わる状態を急速交代型という。急速交代型は治りにくい。
DSMという精神科医向けマニュアルのようなものがありそこにも定義が書かれているが、DSMの評判は悪い。 操作的手続きといって、チェックシート式に診断できる定義がある。 製薬会社の利益のために診断基準が歪められているといった陰謀論があるほどだ。 陰謀とまではいかなくとも薬物治療は製薬会社から研究費をもらいやすく、薬物治療以外の研究が進みにくいなどの構造的問題はあるらしい。
双極症はその病状によってⅠ型とⅡ型に分類される。 Ⅰ型は躁状態が強く、Ⅱ型は躁が比較的軽い。 Ⅰ型の躁状態は浪費や対人トラブルの原因となるのに比べ、Ⅱ型の軽躁は丁寧な対人関係等に向かい社会的に良い形に落ち着くことも多い。 強いか弱いかという連続的に見える性質だが、臨床家がいうにははっきりとした質的な違いがあるそうだ。
うつ病との関係、精神病
躁うつ病という名称からうつ病を連想するがうつ病とは別の病である。 といっても精神病の分類というのはだいぶ曖昧だ。
精神学者クレペリンは精神病を分裂症(統合失調症)と双極症の2つに大きく分類した。 その分類でうつ病は、躁状態のない双極症として双極症の下位に位置づけられていた。 昔の人がが考えた分類だからといって切り捨てることはできない。 精神病が病の仕組みが明らかになっていないものが多く、どうしても分類が恣意的になる。 精神病の分類なんて存在しないという説もある(精神障害はひとつながり)。
仮に病気の生理的原因が完全に明らかになれば適切な分類がなされるのだろうが、気分の落ち込んだ人が精神科を訪ね、脳をピピっと検査されて薬を処方されて帰るというのは少し想像がつかない。
治療
薬物治療が中心になる。 先に触れた通り薬物治療の研究には研究費が落ちやすいこと、それ以外の治療では大量の患者を裁けないという問題から薬物治療が選ばれているという現実もある。
薬物治療
リチウムが効く人には効くらしい。副作用も強いため定期的に血液検査をしながら処方する。 他にも色々な種類の薬が使われている。 人によって効く薬が違うだけであればすべて試せばいいが、人によって効く薬の"組み合わせ"が違うらしいので、全通り試すのは困難を極める。
さらにいえば、薬の効き目自体統計的な処理を通してようやく認められる程度のものという現実がある。 プラセボ群のうち3割が改善し、投薬群では6割が改善したとして、投薬群からプラセボの割合を引いた6-3=3割が薬の効果となるが、 それではプラセボと変わらないではないかという話がどこかに書いてあった(内海先生の本だったと思う)。
精神治療
カウンセリング等の治療を精神治療という。 そもそもある状態に病名を与えて薬で治りますよと教え、服薬を続ける行為自体が治療的でもあるらしい。
病が完全に脳の病気であるとしたらこんなもの意味がない、と思っていたが大事らしい。
性格との関係
病前性格という概念がある。いわゆる真面目な人が病気になりやすいというやつだ。 双極症第4版では強く否定されている。
循環性格というものがあり、これが徐々に悪化すると病になるという考え方もある。 そもそも躁やうつというわかりやすい症状があらわれる以前から性格が変わるような症状があるという考え方もある。
双極Ⅱ型は境界性人格障害と誤診されやすく、性格の変化が一時的なものか永続的なものかが診断の分け目だというが、本を読んだだではその違いがよくわからない。 また、病が長引くと症状と人格が混合してしまうらしい。
このあたりは患者への差別等と密接に関わるためセンシティブ。 治療者と患者当人以外は、性格とは関係ないものと認識しておくのがいいんじゃないかと思う。
存在とメタサイコロジー
内海健先生の著書では、自己が成立するための痛みについて何度も述べている。
自己が確立するには、世界全体のうちここまでが自分だと認識する必要がある。 自己以前には世界すべてが自分であったのに対し、自己確立以降は自分以外を"喪失"することになる。 このとき、自分でないものは手のひらからこぼれ落ちることで価値を損ねる。つまり傷つく。 この「傷つけてしまった」という罪悪感によって自己というものが存在できるのだという。
喪失の瞬間は実際におこった事実ではないが、メタサイコロジカルな次元に認められるのだという。神話のような次元。 正直よくわからないが、なんとなく理解できるような気もする。 気分障害をもつ患者は、この喪失の痛みに触れてしまったのだと述べている。
私は以前まで、精神病は脳の病で脳の一部が壊れているだけのものだと思っていた。 しかし、DNAのトリプレットの連続からどのようにして肉体が生まれるかが到底理解できないのと同じく、脳細胞の状態からわたしという意識を知ることは難しい。 そのため、肉体から肉体を知るように、言語を通じて精神を分析するのはとても自然なことだと考えを改めた。
ところで、メタサイコロジーという概念を打ち立てたフロイトらしいのですが、到底読む気になれないので誰か簡単な本を教えてください。
文献紹介
記事を通してきちんとした引用をしていないがだいたいここらへんの本から得た情報。
『双極性障害【第2版】 ──双極症I型・II型への対処と治療 (ちくま新書)』(加藤忠史)
一般向けで一番きちんとしていると思える本。基礎知識から最新研究まで網羅されている。 薬物治療をしていれば治るという主張が強いが、難治化や薬物治療の限界についてあまり悲観的なことが書かれていないのは患者に対する配慮なのか。
双極症 第4版(加藤忠史)
双極症についてたぶん一番くわしい本。分厚いが優しい文章で書かれているため読みやすい。 医者向けの本なので生理的なところが書かれている部分はさっぱり理解できないが、それ以外のところはでも読める。 当事者の人は新書よりもこっちを手元においておいたほうがいいんじゃないかと思う。
双極II型障害という病 -改訂版うつ病新時代(内海健)
加藤先生が研究者という印象があるがこちらは臨床家。 双極Ⅱ型障害について一番詳しく書かれていると思う。 「双極症 第4版」の双極2型の章にも引用されているが、そちらで切り捨てられていた病前性格を支持しているところがある。 精神科医にとって精神分析やメタサイコロジーがどのような位置づけなのかちょっと気になる。