Boy’s Surfaceを読んだ
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Boy's Surface
円城塔氏の作品。短編が4つと解説が収録されている。自称恋愛小説。
感想
今までで一番よくわからなかった。いや、Gernsback Intersectionは図があったおかげで何となく理解できた気がする。本のタイトルと同じBoy’s Surfaceも、紙を切ってメビウスの輪を作ってメモしながら読めばわかりそうな感じがする。メビウスの輪を片手に読む小説。
お話の幾何学的な構造は解説だったり図のおかげで読み解ける気もするが、数学的表現が全然わからない。私は数学をちゃんとやっていないタイプの理系なので、ちょっと難しい言葉が出てくるとすぐにわからなくなる。
義務教育の数学は論理的な思考力をつけるためにあるというけれど、数学を極めた上で身につく思考は論理的なんてものではないんじゃないか。 この本のような理論的であり幻想的な、よくわからないようなものなんじゃないかと思ったりした。
恋愛小説であるのにここまで恋愛への言及が全くできていないが、 私は恋愛小説でございますと主張することで恋愛小説であるようにして恋愛小説たりえているのがこの小説だ。 この小説の恋愛について言及するのは本を読んで平仮名の形について考えるようなものであると思う。 実際そこまで的外れなものでもないが、とにかく言及は難しい。
それでもやっぱり、かわいい文体と読者の思考を先回りしたような文章、あらゆる構造を数学的に扱う様子は読んでいて楽しい。
レフラー球
ところで、作中でレフラー球なる青い球体が登場する。特殊な図形を人間が認識することで現れ、図形が文字列に見えるよう屈折させる。この球が数学的構造で、構造を使って定理を探索したりするらしいのだが、そのあたりの話は理解できていない。
図形を文字列にゆがめて認識させるという構造は、読者が文字列を読むことで頭の中にお話しを思い浮かべるのと似ている。この変換を読者の外側に置いてみましょうというのがレフラー球なんだと思う。
この構造はいろんなところで出てくる。というか人間が自分の認識で構築された世界を見ている以上、あらゆるところに存在すると言える。
現実のコミュニケーションでは、交換される情報が多いためレフラー球の屈折は減少していくと思う。ただ、そのコミュニケーションがTwitterのリプであったり、配信者とコメントだったりした場合、レフラー球の屈折は大きくなりそうである。
だからどうというわけでもないが、「頭の中の理想の推し」という概念を「レフラー球により歪められた推し」と考えれば、そういう推し方もありかなぁと思えて良い。