友愛と恋愛を同一平面上に並べたい
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恋愛への不満
2者間の関係で、恋愛が特別扱いされることになんとなく不満がある。恋愛関係は子供を産める点から婚姻制度なんてものが用意され、社会的に保護される。
また常識的に、人生をともに歩むパートナーとしては恋愛関係にある2者間を指す。通常であれば男女、最近では男同士、女同士、その他諸々も認められてきてはいるが、あくまで恋愛関係を前提とする。
このように、恋愛が特別扱いされていることに不満がある。
恋愛と友愛の違い
それでは恋愛と友愛の境は何なのか。と考えているところで愛の三角理論というものを見つけた。
愛の三角理論(あいのさんかくりろん)は心理学者のロバート・スタンバーグが1986年に提唱した、対人関係に関する理論である。
スタンバーグは、愛を単独の概念ではなく、次の三つの要素の強弱から説明できると主張した。
私なんかが思いつくことはすでに誰かが考え、更に洗練されてまとめられている。この理論では親密さ、情熱、コミットメントという3次元で様々な種類の愛を連続的なものとして扱えるようにしている。
これを見る限り、やはり情熱(性欲)というのが大きな違いだと言えそうだ。だが、人生をともに歩むパートナーに性欲が必要かと言われると「ん?」となる。このあたりは伝統的な家制度、子供を増やしてほしいという国家の願望等々があるのだろう。
ただ、そのような要請を個々人が取り込み、常識と一体化しているところがよくないと思う。もっといろんなかたちを認めていこうよと思う。
結婚の恋愛以外の部分
VRChatのお砂糖とサイバーホモから見る日本社会 という記事がある。男余りの恋愛市場から抜け出し、VRを使って男同士で幸せになることもできるといった内容だ。
読んだ後、結婚のオルタナティブとして話しているように見えるのに、性的行為の幸福感の話ばかりなことを疑問に思った。結婚のオルタナティブを探すというより、結婚によって得られる精神的満足感の代替を探してるっぽい。サイバーホモと書くから大げさに見えるが、独身で寂しくてもアイドルを推していれば楽しいよねといった話とそう変わらない。
私が欲しているのは、結婚の恋愛以外の部分を補うものなのではないか。互いの喜びや悲しみを共有する行為、互いの人生をマージするような関係性、そういったものがほしい。そもそも自分の人生だけだと最悪どうなってもいいかという感覚がつきまとう。
ゲームの面白さの1つに、リスクとリターンからなる「ゲーム性」があるらしい。それでいうと、自分の人生が失敗すると他者に影響が出るリスク、自分の人生が成功すると他者も喜ぶリターンというのは、ただそれだけで人生の楽しさを上げてくれるものなんじゃないか。
そんな人生を楽しくする手段が恋愛に独占されているのが憎い。
友愛と恋愛を同一平面上に並べる
じゃあどうすればいいか、恋愛以外の関係性で人生を共有できるパートナーを見つけるしかない。
私の常識がどこまで社会に都合がいいよう歪まされたものなのか、どこまでが性欲由来のものなのか、そういったことを整理し、探っていくしかない。
とりあえず、一人暮らしを始めたらVRChatも始めてみたい。