議論、正論、コミュニケーション

published: 2023-07-25

要はバランス…。

購読しているブログで「正論で人を傷つけることについて述べたツイート」が取り上げられていた(ツイートの話題は有料部分だったのでブログ名は伏せる)。

ツイートの中身は別にして、議論の場においてどの程度相手の気持ちを慮るべきかについて気になった。 議論における正しさとは論理が通っているかどうかである。 これは九月さんのいう正論とは違って間違いなく存在可能である。 そして議論とは論理を交わし合ってより正しかろう結論に辿り着く行為であるから、相手の発言を否定するのはよくあることだ。

ここで、議論において相手の気持ちを思いやってお気持ち面のためにフォローするのは議論にとってノイズになるし、発言が増えて面倒だ。 議論中は議題についてだけ考えるほうが効率が良い。

しかし、ほとんどの人間は発言が否定されると傷ついたり萎縮してしまう。 発言の否定が人格の否定ではないことを理解していたとしてもである。 傷つく弱さが悪いとかそういう話ではなく、ただ現象としてそういうものだ。

これを踏まえると、議論の効率と精神衛生のトレードオフが見いだせる。 問題になるのは人によってトレードオフの塩梅が違うことだ。 気持ちを一切考慮せずにぶつかったとしてもまったく精神衛生が悪化しない人もいれば、常に適切なフォローがないと深く傷ついてしまう人もいる。 傷つかない人にとっては精神衛生を思いやるのは非効率だが、傷つく人にとっては死活問題だ。

幸福の不在と苦痛の存在の非対称性の理屈で言えば傷つく方に合わせるべきだと思う。 現実的な落とし所は傷つく人に寄せ気味になるだろう。 なんか傷つく派の人が道徳的優位にあるようなのが気になるし、傷つかない派にとって傷つく派が弱者になってしまうのがムカつく。